疲れ果てた母。普通街道からの離脱。

長男が3歳になった頃から、本格的に発達障害と向き合い始めました。あれから、もう、約十年という月日が経ちました。

この十年の間には、次男も生まれ、そして次男ももれなく、自閉症スペクトラムの診断を受け、途中からはダブルケアという事態。

定型発達さんの子育てでは、おそらくご縁のないであろう場所にもたくさん行き、色々な経験をしました。
例えば、行った場所を列挙すると、

・市役所の面談室(受給者証の申請)
・子育て相談センター
・療育センター
・発達センター
・教育相談センター
・かかりつけ医者での発達相談
・病院の発達外来
・病院の心理士室
・病院での発達検査室
・聞こえの検査室
・幼稚園の個別面談室
・幼稚園、特性あり限定の子育てサークル
・市主催の特性ありの子ども向け就学前説明会
・小学校の校長室
・中学校の相談室
・小学校の通級教室
・小学校&中学校の別室教室
・小学校&中学校の保健室
・小学校のカウンセリングルーム
・市町村などで行われるセミナーなど

さっと思いつくだけでも、これだけある。

定型発達のお子さんのお家の人たちは入れない特別な場所に行くことができたりするVIP感。(小さい優越感をここで感じておく)

そして、これらの場所は、大抵一回限りで終わりではなく、複数回または、定期的に通う場所がほとんど。子どもが自分で行ける訳もなく、すべて親が連れていくスタイル。

いちいち比較しなくても良いとは思いつつ、定型発達のお子さんの家と比べて、特性持ちの子どものケアのために動いた移動距離は、おそらく地球一周分ぐらい違うんじゃないでしょうか?(いいすぎか?でも、気持ち的にはそれぐらいの規模)

相談できる場所、相談できる人がいるのは本当にありがたい。感謝しかない。と、同時に、行きたがらない、動かない、癇癪を起こしながら、蹴られ、叩かれしながらも、子どもを連れて所定の場所へ出かける親。これ、本気ですごいエネルギー。毎回動かない巨大岩を火事場のバカ力と精神力で動かすような無茶ぶり。

よく頑張ってきたよね。
子どもも、よく頑張ったよね。

さて、そこまで頑張ってきましたが、息子2人とも今のところ、

不登校&部分登校(※)

となっております。

※)不登校や別室登校が悪いという意味ではなくてですね、今まで目標としてきた方向性は、どちらかというと、なるべく周りと同じように生活できる事を目的としていた。=学校にもなじめるのがベターとしていたので、そういう意味で、うまく行っていないという限定的な意味でございます。

これ、自分でも今までの頑張りをどう評価して良いのか分かりません。
良かったのか?意味なかったのか?むしろ悪化したのか?

かつて悩みを分かち合った特性ありの子どもの母サークルで、こんな事態に陥っているのはおおよそ私だけです。

我が子たちと同じく小さい時からケアを始めたお子さまたちは、普通・支援級に関わらず毎日通学していらっしゃいます。なんなら、特性のないお子さまの方が、不登校気味だったりしています。(←これはこれで、また深い話になってしまう訳ですが)

おかしいなぁ。

精一杯やってきたんだけどなぁ。毎日、努力→忍耐→努力→忍耐→忍耐のループ。それなのに、まるで快方に向かわない空しい結果に途方が暮れ、そして、不登校とかになっちゃうと、

疲れ果てた。もう、無理ゲー。

私の何かが間違っていたのでしょうか。
まぁ、何かが間違っていたとしましょう。でも、もう、原因の追究はしません。いいんです。
だって、本気で頑張ってきてこれなんですから。

これ以上の事は、もう私の体力・気力・能力では持続不可能です。
そして、これ以上、ベターな方法を探し、試し、頑張るのもそろそろ潮時だと言い切れるに行き着きました。

そうしたら、頭上から天使がおりてきたんです。←ウソ。

そうしたら、

もう、何でもいいわ。

という言葉がどこからともなく浮かんで、それで心も体も腑に落ちた。みたいな感覚になりました。諦めとも言えますが、ここでは敢えて前向きに

大事な事に気がつきました。

と言わせてください。

今の、彼らが今までの集大成で完成形。彼らは、彼らのままでいい。

これ、言葉としては何度も何度も聞いていたし、自分でもわかったつもりでいたのですが、それは理想論として、それがいい。と思っていただけで、自分の深層心理では、全然腑におちていなかった模様です。どこか常に、普通になる日がくる。とか、普通にならないとマズイとか思っていたんだと思います。

十年かけて、やっと、腑に落ちました。十年もかかって、遅っ!って感じですかね~?いやいや、こんなもんじゃないでしょうかねぇ。

発達障害ですって言われて、はいそうですか。じゃ、この子はこのままでいいです。って言い切れる人って、そうそういないと思うんですよねぇ。あれやこれや手を尽くし、七転八倒を繰り返して、それでも頑張る日々を送ってしまうのが親だったりもして。

私もそんな十年を過ごし、そして今、自分の老いも含めて、もうなんか普通街道から外れてるし、疲れたし、これで良くない?に至ってしまいました。

十年を振り返ってみると、頑張り過ぎた事って、案外、逆に効果が殆どなし。つまり、普通に近づけようと思って、あれやこれや取り組んだ事の殆どが、結果に繋がってないどころか、親子共々、どんどん不幸になってる。つまり、

もっと、気楽でよかったのかも。

こんな事なら、もっと好きな事をいっぱいさせてあげて、自由にさせてあげて、おいしいもの食べて、ニコニコ過ごせばよかったよ。

あれもこれも、出来るようにすることを目指すのではなく、周りと生活する上でのベースの部分(人を故意に傷つけない、人の物を盗まない、とか、そういう類の事)のソーシャルスキルだけ、身に着けられたら、とりあえず合格!とすればよかった。

後は、生まれ持ったものを大切にして、そこを伸ばす事を考えた方がいい。
というか、もう伸ばそうとすら思わないよ。

生まれもった力で十分。

とりあえずは、私は、家の中で穏やかに暮らせたら、オールオッケイ。
子ども達は好きな事をして、楽しく過ごしてくれたら、それでオッケイ。

子ども達の笑顔が増えたら、とりあず目先、オッケイ。

もうしばらくすると、今度は自活に向けて、色々とまた試練がやってくるかもしれない。

知的障害はないけれど、知的には下の方で、特性の凹はあるけど目立った凸はない。
しかも、情緒面の成長が遅い。

こういう子どもたちにとって、心地よい場所を探すのが本当に難しい。

いずれにしても、もう悩むとひたすらメンタルが疲弊するので、悩まずに、とりあえず今は、淡々と毎日をおくる事に専念したいと思っています。

普通街道の反対語は、異常街道ではないんですよね~。
普通の対義語は、「特別」です。google先生でもそのように出てきます。
我が家は、特別街道を歩んでいます。普通街道を血だらけになって歩くのではなく、特別街道を普通に歩いて行けたらいいな~。

では、また次回~。

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