次男は3歳の時に「場面緘黙症」の症状がある事がわかりました。
幼稚園入園から園では全く言葉が出ず、年中の2学期まで誰とも話さず、誰ともつるまず、ずっと1人で過ごしていました。
この場面緘黙症というのは、家や親族とはよく話をする人でも、外では言葉を出す事が難しい状態になってしまう症状です。
厚生労働省の情報によると、
・小学生で有病率は0.5%、幼児期では1%
・欧米の研究ではASDが3割程度合併していると言われている
・不安・恐怖関連症群に位置づけられている
・発達障害の一つとされている
・学校教育(特別支援教育)では「情緒障害」に位置づけられている
とのことです。
抜粋元はこちらです↓当事者が読んでも、違和感のない内容でした。ご参考までに。
https://mhlw-grants.niph.go.jp/system/files/report_pdf/202018006A-buntan4.pdf
3歳の時に全く話さなかった次男ですが、あれから5年経ち小学生になった今、どうなったかといいますと、
学校でも慣れた環境、先生、友だち・友だちのお母さんとなら家と同じように話せる。
お店などでも名前を聞かれたら、答える事ができるようになった。
ようになりました。
まだまだ、初対面の人、お店などでは文章を話す事は難しいですが、それでも、外でこれだけ話せるようになったのは、成長したなぁと感じます。
この5年間をどうやって過ごしたのか。ご紹介までに書いてみたいと思います。
【幼稚園の年少時】
自閉症スペクトラムの診断をもらい、加配申請をし、園・先生方に特性をご理解いただいてフォローして頂いた。けれども、本人の不安・ストレスは大変なもので、母からみたら、もうこの子は壊れてしまうんではないだろうか。というぐらい毎日苦痛そうで、母子ともに辛かった時期です。
翌年、感染症が蔓延しだして、登園してもしなくても良いという連絡が来た際に、速攻でお休みにしてしまいました。(後で聞いたら、誰も休んでいなかったらしいです)
結局、一言も話さず年少が暮れていきました。
【幼稚園の年中時】
園や先生方のフォローは引き続きして頂きながら、2学期に入って、マイクラ好きなお友達が話しかけてくれて、それをきっかけに友だちが初めてできました。
そのお友達が、とてもやさしい子で、困ったことがあったら先生に代弁してくれたりするようになり、段々と同世代の子どもたちや先生への緊張がほぐれていきました。
本人はお友達とだけコソコソ話す事ができるようになる一方で、先生や親しくないお友達とは、ほとんど話す事はなかったようです。
【幼稚園の年長時】
気の合うお友達が新たに出来て、園が楽しくなりだしました。お友達繋がりで、またお友達ができるというような感じで、楽しい時に先生が話しかけると、うっかり答えてしまう。というような事もあったようです。3学期には、先生たちとも簡単な会話ができるようになっていました。
【小学校入学~】
1年生の時は、再び、あまり話さなくなってしまいましたが、特定のお友達とは話ができるようになり、困りごとは、代弁してもらっていたようです。
2年生になって、先生とも少し話せるようになっていました。
3年生になって、別室登校するようになり、別室では家と同じように先生・お友達と話せるようになりました。
【家でやっていた事】
うん(yes)、ううん(no)だけは、言葉で言うように努力していました。
本人が好きな事に関しては、たくさん話をしてくれるので、好きな事について会話を増やしました。
動物系のぬいぐるみが好きなので、ぬいぐるみを友だちとして使って話す。みたいな事はよくやってたかな・・。
担当医の先生から、無理に話させようとするのは控えた方がいいと言われていたので、それは気を付けていました。
次男が場面緘黙症と分かった時は、正直、ええ??と固まりました。
その緘黙症という言葉も知らず、また発症率が100人~1000人に一人な訳で、周りに話しても、ほとんど理解してもらえない状態で、私もそれが本人の中でどういう状況なのか想像するのはとても難しいものがありました。
少し自分の気持ちを話せるようになった頃、次男にどうして話せなくなっちゃうんだろうね~?と軽く聞いてみたところ、
「俺だって、話したいけど、なんか話せないんだよ。」
と言っていました。
簡潔な回答だっただけに、余計に彼の苦痛は相当なものなんだろうなと、その時わかったような気がしました。
この先、おそらく環境が変わったりする度に、話せなくなる事は起きてくるとは思うのですが、それはもうしょうがないかなと思っています。そういう所が苦手だと本人が理解していく事、それを頑張らずに対処する方法を探していく事が大切なのかなと今は思っています。
というわけで、場面緘黙症児の言葉を引き出すには(次男の場合)。
何か徹底的に功を称するというものがあったわけでなく、なんとなくジワジワと言葉がポロリポロリと出てくるという感じです。そこに繋がったと思われるいくつかの要素は、
・本人の属する環境に、本人の特性をご理解頂き、協力をお願いする。
・家では、普通に接する。
・話さなくてもなんとかなる方法を探す。
・運(人と出会いなど)
かな。と思います。
安心できる環境をできるだけ整えて、本人が思わず話しちゃうようになるのを待つ。
という感じでしょうか。
場面緘黙症で話せないなんてマズイ!と私も最初はかなり焦りましたが、段々と、場面緘黙症という部分もあるのが次男で、その他に良い所もいっぱいあるから、ま、いいじゃないか。ぐらいに思えるようになってきました。
また困難が見つかった時は、また何か考えるか助けを求める。(←多分、しんどいとは思うけど)
しかないから、その時まで考えない。に徹したいと思っています。
何か参考になる情報があれば幸いです。
最後までおつきあい頂きありがとうございました。
次回もぜひお付き合いくださいませ~。
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