私が育児中に崩壊していた頃のお話をご紹介したいと思います。
人に話すような内容でない気もしますが、こんな人もいるから、私は大丈夫と思って頂ければ幸いです。
これはまだ、私が我が家は発達障害家系であることを理解していなかった頃のお話です。
私が子どもが欲しいと思った理由は、実に純粋でございました。
仕事帰りに見る夕日がとてつもなく綺麗で、ああ、子どもがいたら、この夕日を見せてあげたいな~。
夕日の美しさを教えてあげたいな~。
という、今の私なら、ドラマか!!と自分に突っ込みたくなるような、憧れでございました。
そんな夢を見ていた頃、現実を私は全く分かっていませんでした。
子どもは私とは違う人間であるという事。
子どもがいるからと言って、遊園地などでみる楽しそうな家族連れになれるとは限らないという事を。
結婚した後、ありがたく命を授かりました。
しかし、妊娠直後から、試練は始まりました。
体調が著しく悪く、仕事を辞めざるを得ませんでした。
突然、朝から晩まで狭いアパートで独りぼっちになり、その時点で病み始めました。
その間に夫が、隠れて数十万円を使い込むという事件が発生しました。ガーン。さらに病みは進みます。
そして、数か月後に無事、出産。
しかし、私は出産と同時に四十肩を発症。授乳で寝れないとかでなく、痛みでほとんど寝れない日々が続き、さらに病みました。
そして、それを感じてか、我が子はとにかく泣く。泣いて泣いて泣く。
そして、とにかく寝ない。
睡眠不足が続き続けると、人間は、本当に壊れてきます。感情のコントロールが効かなくなります。
泣く、叫ぶ、怒る、投げる、蹴る。
といった激しい感情表現が止められませんでした。(それでも、息子に手を挙げる事だけはなかった自分を褒めたい!!)
そうこうしている間に、息子が段々と、周りとなんか違うぞ。と、気が付いてきました。自閉症スペクトラムの診断が後に出る訳ですが、その頃は知る由もありません。息子の行動が、いちいち大変。とにかくこちらの思い通りには何も進まない。
そんな中、アパートの隣の隣人から、子どもがうるさい。という苦情が度々入りました。ガーン。
こんなに色々耐えて、頑張っているのに!!!と感情が爆発。狂気を超えて、ついに私、崩壊。
崩壊するとどうなるか。
服を着たまま、風呂に飛び込むという奇行に出たりします。(私の場合)
ここまでおかしくなると、夫も「これはマズイ」と気づきそうなものですが、夫は、私がおかしくなっている事に気づいていたのか否か、救いの手は無し。傍観されていました。(後に夫はASDと判明)
その後も、夫→ASD 息子→ADHD 自分→ASD&ADHD であることを理解していない家族は、どんどんとカオス化していき、毎日が戦いという地獄と化していきました。(もやは、記憶もぼんやり)
憧れの、家族でたのしい遊園地。なんてものは、かなり難易度が高いものであることを段々と悟りました。子どもがたくさんいる所や、待ち時間がある所は、息子にとっては決して心地よいものではなかったので断念。
もちろん、夕日をゆっくり眺めるゆとりなんてものは忘れ去っていました。
もう、世も終わりかという程、ボロボロになっていた頃、息子の療育が始まり、そして無事、幼稚園に入園しました。(幼稚園も入園出来るか否かで大変だった)
その頃、ようやく私にも救いの手が差し伸べられます。
初めて、
「お母さん、頑張ったね」言ってくれる人が現れました。
療育や幼稚園の先生方が、温かく親子共々助けてくださり、ようやく私の狂気が収まり始めました。
その後、幼稚園年長時には、息子のADHDは姿を消し、まるで定型発達児じゃないか。と思われるほどに、友だちと園生活を楽しみ、小学校受験もクリアし卒園しました。
いや、ほんとにね、地獄でした。本当に大変だった。
長男が入園後に、次男が生まれる訳ですが、これが早産となってしまい、帝王切開で出産。が、お腹の傷がなかなか治らず再入院したり、次男はNICUで丸一か月過ごしたり。
その後、次男もやはり自閉症スペクトラムの診断が出るツワモノだったので、育児も大変。私は疲労で救急車で運ばれる事態に。
やっぱり、ほんとにね、地獄でした。本当に大変だった。
子ども達は、今、中学生と小学生になりました。2人とも、通常級には通えず、別室登校をしています。相変わらず、大変といえば大変ですが、あの頃の地獄を思えば、全然、大変じゃありません。
別室登校、彼らの生活に少しでも快適さが増すのであれば、
全然良い!!
とりあえず、今、元気でいてくれたら、もうそれでオールオッケイです。という境地に入りました。
あの地獄の日々を今、思い出して俯瞰して見てみると、反省する事も多々ありますが、それはでも、今だから反省できる事なのだと思います。
直面している時には反省している余裕すらない・・・
息子たちには、幼児期に母親のコンディションがもう少し良い環境を提供してあげたかったとは常々思いますが、しかし、それ以上に、母子ともに本当に辛い時期をよく耐えて頑張ったという思いの方がずっと強いです。(おそらく夫も耐えていた事でしょう・・・多分・・・)
子ども達に当時、やってあげられなかった事は、今後やれる時にやろうと思っています。
育児中には、誰でも、人に言えないぐらい酷いコンディションになってしまう事がありますよね。母たちは、それに対する罪悪感をずっと胸に秘めて生きています。
酷いコンディションになる前に、助けがあればそれは体験せずに済むことかもしれません。それは、母たちの罪悪感が減ることに繋がり、心穏やかに子どもと向き合えるようになります。子どもにとっても、それはメリットでしかありません。
世間一般に、「子どもは一人ひとり違う個性があり、その個性を育てる育児とは実に大変なエネルギーが必要である。」という事への理解と寛容さと手助けが広がる事を心から願います。
そして、我が家のように、地獄をみるご家族が減ることを祈ります。
今回も最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
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