高齢出産、壮絶だった。四十肩併発?!再入院?!

年齢に関係なく、出産というのは大変なエネルギーが必要で、何かしらのトラブルは付き物だとは思うのですが、私の場合はそのトラブルが盛りだくさん過ぎて・・・。どうして、こうも大変な事になってしまったのか。お医者さんをやっている友だちに聞いてみたら、こう言われました。

それは、年齢の要素が大きいよね。

ガーン。

どうやら、体力&抵抗力が若い人に比べて格段に劣るようで。

これから出産を迎える方に、「ほんとに無理しないでね。疲れる前に休養しようね。妊娠&出産は人生にそう何度もない特別な時間だから、諸々の事は横に置いてゆったり楽しく過ごそうね」とお伝えできたら幸いです。

さて、自分の体を労わらないまま臨んでしまった私。高齢出産でよく言われているのが「妊娠高血圧症候群」&「妊娠糖尿病」のリスク。これは、妊娠中の健診でも、よくお医者さんから指摘があった事もあり事前に知ることができたので意識しながら過ごせましたが、逆にいうと、私はそれしか知識がなく、それさえクリアできれば大丈夫。と軽く考えていました。

が、甘かった・・・。自分の年齢をもう少し受け入れておくべきでした。

お腹もかなり大きくなってきて、さあ、いよいよ出産。

【長男の場合】(この時、私は39歳)
長男は、予定日もピッタリ。出産も自然分娩で6時間ぐらいと、実に理想的な出産となりました。ここまでは良かった。しかし、数日の入院を終えて、実家に帰って数日後。

おかしい・・。会陰の痛みが異常に痛い。痛すぎて座れない。座れないけど、授乳しないと。不自然な恰好で授乳していたせいか、

膝に激痛が。
肩に激痛が。

つまり、座れない。立てない。抱っこできない。→地獄。

あちこち痛いけど、とりあえず会陰の痛みが突出して辛く、とりあえず、普通に歩けない。再度、病院で診察してもらうも、特に問題はないと言われ。

結局、2か月程痛みが続き、会陰の痛みは何とか収束。その後、膝の痛みも収束。どうやら陰の痛みは回復力が衰えている故に長引き、膝の痛みはホルモンバランスの調節がうまくいかなかったが原因のようです。

一方で、肩の痛みは酷くなるばかり。授乳で超寝不足で、もうろうとしながら病院へ。すると、医師から言われたのは、

四十肩ですね。

ええ?出産と同時に四十肩?!おそるべし老体。


四十肩って、なってみないと分からなかったのですが、24時間ありえないほど痛いんです。動かしてなくても激痛なんです。肩がそこにあるだけで激痛なんです。1t級のツンツンした鬼の金棒で肩をグイグイ押されて、肩がもげそうな痛み。夜も寝れたもんじゃない。しかも、両肩。

医者で、授乳継続か授乳をやめて痛め止めの薬か、と問われて、授乳を選んでしまった私。バカなのか。いや、母乳、頑張りたかっただけなのよ。

肩の激痛は増すばかり。肩の激痛という土台に、肩を酷使する抱っこ&授乳という柱と壁が乗り、寝不足という屋根が乗っかる。地獄ハウスか!!!

人間、寝ていないと、脳がやられます。だんだん頭がおかしくなってきて、どうやら色々めちゃくちゃになっていたようですが、私自身はベイビーが6か月位~1歳半ぐらいまで、あまり記憶が残っていません。(かわいい盛りなのに、もったいなさ過ぎる)

結局、四十肩は長男が2歳になった頃に日常生活に影響がない程度に復活。やれやれ。

本当に辛すぎました。すべてが真っ黒に見える2年間でした。こんなに辛い思いをしたのにも関わらず、私の壮絶な高齢出産はその後、二度目を迎えます(やっぱり私はバカなのか)。長男が生まれてから4年後の43歳の時に再度、高齢出産をしました。

【次男の場合】(私は43歳)

次男の時も、妊娠中期までは順調だったのですが、妊娠後期に入ってから、お腹の重さに耐えられなくなってきた感が半端なく、しんどすぎてもう動けない。

長男の幼稚園の送迎も、車送迎していたというのに、それすらしんどすぎて、園に無理を言ってバスに変えてもらったりもしました。(周りの子どもたちに、〇〇君だけずるい~~。と言われ、また、周りの母たちからは、途中から変えられるんだね。知らなかった~。と言われ、そして後日、園から「途中からバスに変える事はできません」とお手紙が出てしまう事態となってしまいました。お騒がせしてすみませんでした~)

そして、34週に入ったところで、年末だった事もあり、珍しく窓ふき掃除した翌日、

破水。
ガーン。(窓なんて拭かなきゃよかった)

慌てて病院へ駆けつけ、そのまま帝王切開で出産となりました。(もともと総合病院で診察を受けていたので、転院はせずに済んだのが不幸中の幸い)

34週だと早産になる為、次男はそのままNICUへ。直ぐに我が子が抱けない虚しさときたら筆舌しがたいものがありました。そして、何が切ないって、子どもは40週付近になるまでNICUになるため、約6週間の滞在。私は1週間で退院。子どもを置いて、自分だけ退院するという流れに。(今回は実家ではなく自宅へ。長男の幼稚園があるため。)

子どもを一人病院に残して、家に帰る。→泣きそう。

毎日、絞った母乳を届けに行って、保育器に入っている息子を撫でて、帰る。→泣きそう。

しかし、この後、泣きそうなんて言っている場合ではない事態に。

なんか、お腹の傷が痛いんだよね→ずきずき傷が痛むんだよね→どうにも痛い→どうしようもないぐらい痛い。と激痛が増していく日々。退院して1週間後ぐらいに、体調急変。

超高熱。ガタガタと震えが止まらず、病院に電話。

一回、来てもらった方がいいかもね。

行ってみたら、なんと手術時の傷口からばい菌が入って化膿している始末。

とりあえず再入院。ガーン。

抗生物質の点滴を数回受けても治らなければ、もう一回お腹を切る手術が必要になると言われ・・・。これは、菌に対する抵抗力の衰えが原因か?

幸い、一週間の入院&通院で最悪の事態は逃れ、結局、その後、NICUの次男も順調に育っていた事もあり、一緒に退院する事ができました。

が、しかし、数日後すぐに病院に戻る事に。。

我が家に戻って、ホットする間もなく、今度は母子ともにインフルエンザにかかってしまいました。次男はまだ生後3か月になっていなかったので入院が必要に。つまり、私も付き添いで私も入院。(3か月未満だと、重症化するリスクが高いので入院となります)

ただいま~、戻って来たよ病院に~涙。一週間滞在。

コロナ前だったので出来たのだとは思いますが、私もインフルエンザの発熱状態で病院へ行く事に。タミフルを服用しながらフラフラになりつつ24時間付き添い。病院には、母親用のベッドはないので、疲労蓄積で半分ミイラ化していました。さらに、インフルエンザを罹っているので、病室を出る事もできず監禁状態。あまりにつらくて、パニック障害の発作が出る始末でした。まじで壮絶。

結局、出産からインフル完治まで、トータル3か月ぐらい母子ともに病院に出たり入ったり通院したり。

自宅で落ち着けたのは、出産してから4か月の目前のころ。やれやれ。

思い出しても身震いするぐらい辛い思い出となってしまいました。一つ終わったら、また一つ何かが起きて、先がまったく見えない状態で、よく一人、ホロホロと涙していました。(助けてくれる人が誰もいなかった)

こうも酷い思いをすると、高齢出産とわざわざ呼ばれてしまうのには、それなりの理由があるのかもしうれないと思ってしまいます。でも、40歳オーバーでも、全然元気に出産&育児されている方も多々います。(というか、私の周りの人はほとんど問題なく出産)

私に足りなかったのは、心と体の心のケア。自分を過信しすぎていた。

という事なのかもしれません。

私の場合、出産してからも夫の事や育児云々で、これまた平穏な日々とは縁遠い感じではありますが(これはまた別に書こうと思います)、あの出産経験は辛さ転じて、今や自分に自信しか与えない貴!!あの痛みや悲しみや体調の悪さを乗り切った私なんだから、大丈夫!としか思えない要素となっています。

でも、辛い経験は無いに越したことはなく、これから妊娠期間や出産を迎えられる方に、余計なお世話とは思いつつ、私から伝えたい事はこれ。

とにかく、無理せず体を労わって~。甘やかし過ぎぐらいで丁度いい~。

仕事とか家の事は産んでから、がんばろ~~。ベビーとの対面が素敵な思い出になりますように。

最後に追記。早産で次男がNICUに入ってしまいましたが、NICUの医師・看護師さんたちの温かさには本当に感動しました。毎日、ノートに目頭が熱くなるようなコメントを書いてくれたり、次男を見に行ったら、今日はすごく元気でね。と少しの変化でもお話してくれたり、それはそれで大変貴重な時間でした。

今回も最後まで、お付き合い頂きありがとうございます。では、また次回。

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