隣の芝生は実際、青い。けど、まぁ、ええわ。

SNSなどで、たまに見かけます。

「どうしてみんな普通なのに、うちの子は違うの?」
「どうして、こんなに育児が大変なの?」

わかる、わかる。ほんとそれ。

私もフラッシュバックさながらに、苦しかった時の記憶が鮮明に思い出されて胸が痛くなります。

皆と同じように妊娠、出産をしたんだけど、いざ育児が始まると何か違う。

周りのお母さんは皆幸せそうに見えました。身なりを整え、子どもはかわいい服を着で、ニコニコと歩く人たち。私はほとんど夜は寝れず、髪を整える余裕も化粧をする余裕もなく、子どもにはとりあえず乾いている服を着せて・・みたいな毎日。

この差は何だろう?
何度も、
私はなんて運の悪い人間なのだ。

と落ち込みました。

幼稚園に上がれば、クラス全員で公園に集まろう!なんていうLINEが来たりします。それだけで気絶しそうでした。何となく行った方がよさそうと思って頑張って出かける訳ですが、どんな状況になるのかはわかっていました。

ほとんどの子どもたちは、子ども同士で集まって楽しめる事が、うちの子は楽しめない。

母たちが集まって楽しく話しているのに、私は自分の子どもに振り回されて、座ることすらままならない。

違う。違いすぎる。
という悲しみと、
母たちの笑い声の中に入れない寂しさ。なんだかよくわからい怒りと入り混じって、

何度も心が死にそうになりました。

そして、極めつけが、これ。
お開きになる時間になって、我が子は決まって気分が乗ってくる。

気が付けば、公園には誰もおらず、自分と我が子だけで遊んでいるという結末。広い駐車場には、我が家の車が一台だけ、ポツリ。

一人。でした。
いつも、一人。
(今思えば、我が子もいたから二人なんだが、気持ちが一杯すぎて人数に入れられなかった。)

小学校に上がる頃には、さすがの私も、いわゆる定型発達のお子さんの育児と自分の育児はハッキリと違いがある部分がある。と分かってきました。

友だちの子ども達は小学生になると、子ども自身が小学生になった自覚を持ち、集団登校や集団生活に流れるように入っていくことができるのを間の辺りにしました。

うちは、そもそも集団登校で学校に行くことができません。そして二人とも、別室登校しています。

友だちからお茶に行こう。と誘われても、申し訳ないのですが、本当にお茶に出かける心のゆとりがありませんでた。暇な時間があったら、一人で休みたい。という気持ちが最優先でした。(今もゆとりはない。)

どうやら、どう考えても、定型発達児の育児とは、”大変度”が違います。

隣の芝生は絶対、青い。
育児に関しては、絶対、青い。

と、言い切れます。


けど、青かろうが黄色かろうが、今はどうでもよくなりました。疲れ果てて診療内科に通い、カウンセリングを受けて頭の中を整理したら、どうでもよくなっていました。(4年かかりましたが)


同じ育児でも、子どもの個性や特性によって、抱えている課題も何もかも全く違う事が、今なら分かります。それによって、父・母たちの生きている世界も見ている世界も、全く違う。

「育児」という言葉は、あまりにも括りが大きすぎて、何も説明できない単語です。

違う世界を見ている人たちと仲良くすることは、私にとってはとても難しいことです。なぜなら、嫉妬や妬みに苦しむ事になるからです。

子ども以外の話題であれば、全く楽しく過ごせると思うのですが、残念ながら子どもがいる母・父にとって話題になってしまうのは、やはり子どもの事です。

よって、私は、基本的にいわゆる「一般的な家庭」との交流は、積極的に行わないようになってしまいました。罪悪感もゼロです。その方が、お互いに幸せだと思うからです。

他人の家の芝生同様、自分の家の芝生も何色でも構わないのですが、こんな事がありました。

下駄箱で、靴がなかなか履けなくて、もたついていた女の子に、お母さんが

「何してんの?早くしなさい!!」

と怒鳴っているのを見て、私は幸せかも。と思った事があります。

もたもたしていることで、私は子どもに対して怒りは湧いてこないからです。時間がかかっても靴を自分で履けるようになった我が子にむしろ喜びを感じます。遅刻したら、遅刻したでしょうがない。と開き直って生きています。

定型発達のお子さんは、普通に出来ることが多い分、親の期待も大きくなりがちなんだろうな、と思います。

うちの子どもたちは出来ない事がたくさんあるけれど、彼らの笑顔を見ると本当に幸せな気持ちになれます。出来る出来ないで子ども達を評価する事も随分減りました。

そういう意味では、うちの芝生も青いのかもしれません。

最後に、定型発達でない大人たちや家庭との付き合いのが多めな我が家。彼らは本当におもしろい人たちです。彼らを見ていると、定型とか定型じゃないとか本当にどうでもよくて、楽しく生きられる部分を探せばいいんだ!と思わせてくれます。

今回は、ここまでです。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました!





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