2学期から度胸試し。「戦略的放牧」にトライ。

今年の夏は、本当に暑かった。暑すぎを理由に、私の人生では最高ランクに輝くダラダラ度で過ごした夏休みでした。ダラダラって悪いイメージがありがちですが、今回このダラダラが意外にも幸に転じたかも?という我が家の実態を書いてみたいと思います。

今年の夏のダラダラは、我ながら称賛に値するダラダラでして、それ、ダメじゃない?レベルのダラダラです。

具体的には、
1.朝は寝れるだけ寝る。夜は、起きられるだけ起きる。毎日、私は9時起床。子ども達は11時起床。母子ともに深夜1時就寝のリズムに。
2.ご飯は基本作らない。パン、シリアル、レンチン食品、惣菜なんかで済ませる。または旦那につくってもらう。
3.長男には宿題圧力はかけない。次男には、声かけだけ。やるかやらないかはお任せ。
4.ゲーム&テレビ時間に制限をかけない。
5.子ども達から希望がない限り出かけない。私個人は出かけたくなったら勝手に出かける。

つまりは、子ども達を完全放牧。私もネトフリ&ゲーム三昧&とかげ・金魚の世話など完全自己放牧。

という過ごし方。これはネグレクトだ!なんなら、虐待じゃないか?なんて言われかねない。

一般的には良くないんだろうな。とは思う一方で、うちは一般的の枠からすでに外れているし、ま、いっか。と、そのまま放牧。

結果、約1ヶ月半の夏休みを振り替えると子ども達はものすごく伸び伸びと過ごし、よく笑い、おいしく食べ物を食べ、私ともよく話し、友達とも遊び。

そんな感じで過ごせたような気が。

結果、夏休みも終わりに近づいた先日、子ども達からで出た言葉は想定外。

長男:あ~、夏休み、めちゃめちゃ休めたわ~。一学期の疲れ取れたわ~。
次男:もう、毎日ヒマ過ぎる~。学校に行って、友達と遊びたい~。

と、あら、前向きな感じ。

実は私自身も、かなりいい感じで、イベント的な事も何もしてないけど、すっごく楽しかった。子ども達とリビングで無駄にゴロゴロしたり、寝る前にも3人で下らない世間話をしたりする時間が何とも幸せで、子どもたちが一層かわいい~!!!!

あれあれ?これ、いいんじゃない?放牧でいいんじゃない?ね、いいよね?

そりゃ、規則正しい生活をおくり、宿題をやり、ゲームの時間も守れて、友達とも遊び・・・

そんな生活ができたに越したことはないのですが、我が家の場合は、そうする事がとんでもなくハードルが高いっぽい。

学校自体に馴染めず、毎日が苦しくて苦しくてしょうがない状態で一学期の数ヵ月をすごし、もうエネルギーが枯渇してしまっている子どもたち。休みになったら何が出きるか。

休むことかな

そして、子どもたちの様子を見て何とか心地よく毎日を過ごせるようにしてあげたいけど、どうしたらよいのか。無意識に日々、頭の中はフル回転している母にとっても、何が必要か。

休むことでしょう!

そうだよ、我々に必要なのは、
休むことですよ!!!

休みまくっていたら、やっぱり子ども達の宿題は全く終わっていません。おそらく、終わらないまま2学期へ突入と思われます。でもま、この夏、ダラダラ過ごして良かったよね。と言っちゃっていいと思ってます。休めたからね。


さて、まもなく2学期が始まります。
1学期、私は子どもたちを学校へ行かせるために最善の努力をして参りました。しかし、ぶっちゃけ、疲れ果てましたー。努力をして成果がでたなら続けようとも思えるもんですが、

成果、まったくなし。むしろ、母子ともに体調は悪化。

私のやって来た事は、何だったんだろう?
子どもたちの意思よりも、学校に子ども達を合わせようと必死だったとも言えるかも。結果、子ども達が疲れ果ててしまったのかも。

あんなに苦しい思いはもうしたくない!というか、もうできないわ~。
2学期は、なんだかもっと楽に過ごしたい。
何年も悩みに悩んでやっと、やっと、やっと、解放されるのかも。学校に行けないなんて何事よ?!という私の中の呪縛からの解放。

「学校=外の世界・期待される姿」に自身を合わせに行くスタンスから少し距離をおいて、自分のまんま世界の方に意識を向ける。

何を主体にして世界を見るか。

主体を「学校」に据えるのではなく、「子ども本人」に。
主体を「求められる母親像」から、「そのまんまの私」に。

重要視する比重を子ども本人たちの意思、私自身の意思側にもう少し増やす。

そして、行動を選ぶ。
選んだ行動を容認する。

これでやってみたらどうなる?

さて、2学期。
果たして私は彼らの選択を容認できるのか?私自身が、放牧を容認できるのか?これ、かなりハードル高いよな~。母の度胸試し以外何者でもない。絶対、ダメ出ししたくなるからな~。

後日、経過報告も書きたいと思います。
今回も最後までお付き合い頂きありがとうございました。では、また次回。

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