不登校息子の今年の4月(新入学)を振り返る。

今年は、不登校だった長男が中学校に入学する年となりました。

いや、ほんとにね、ものすごく大変でした。

学校になじむまでの約2か月、本人も大変だったでしょうが、私(母)も正直、本気で倒れる寸前ぐらい大変でした。(実際、パニック障害の発作が頻発)


中学生活を迎えるにあたり、長男と私の最大の難所は大きく2つ。


〇小学校が合わず、途中から不登校状態。そこからの中学スタート。
〇誰も知っている人がいない。

これで、中学校生活始めれるのか???


そもそも小学校は学区外の学校に受験で入学。しかし、周りの勉強熱心さについていけず、段々と合わなくなってきて途中から不登校。もう、誰も知らないところに行きたい。という長男の希望で、中学校は敢えて学区の中学校に入学。
というわけで、同じ小学校から入学してくる人は0。


ゆえに、慣れない中学校、知らない先生たち、周りに知っている友人もいない。

つまり、すべてが手探り!!(見通しがつかないって、不安しかない!!)


中学校には、入学前に長男と一緒に見学に行き、教務主任の先生にどんな学校なのかという話や、どういう生活をしたいのかの相談をしたり、小学校での様子の情報を交換したりはしていたのですが、それでもやはり緊張は取れず、長男は体調を崩したまま春休みを過ごし、私もそわそわして落ち着かない。そんな状態で中学校入学当日を迎えてしまいました。

さて、入学式当日。

体育館での式には耐えられたものの、教室に移動する途中から長男は体調不良で姿を消し、どこに行ったかわからず。教務主任の先生が探してくれて、

吐き気と腹痛でずっとトイレにこもっていた。

という状態になっていました。そこからの中学校生活スタート。

翌日以降がこれまた壮絶な戦い。


長男、学校に行きたくなさ過ぎて、1日中気持ちが悪い状態。それでも、とにかく毎日学校に行くだけいってみよう!と、母の送迎で学校まで行ってみるものの、気持ち悪すぎて車から降りられない。

ムリ~~!!(長男の叫び)

と、声が上がれば、車から学校に電話して、今日は帰ります。と告げて、帰宅。そんな毎日を繰り返し、

校門をとりあえずくぐる。

職員室に先生の顔だけ見に行く。

10分だけ教室で座っている。

1時間だけ教室にいる。

別室登校する。

別室登校で、給食を食べる。

別室登校で1日過ごす。

この過程を行ったり来たりしながら、入学から2か月経った今、ようやくほぼ毎日給食が食べられるようになり、1日学校で過ごせる日が増え。というところまで辿りつきました。

この間、先生からは毎日電話をいただき、色々相談に乗っていただき。また、学校へ行けば、たくさんの先生方が長男の相手をして下さり、同級生が声をかけてくれたり。

ほんとに、感謝感謝の桜吹雪でございます!!

一方で、息子の体調不良を見て、私の心配は限界寸前。

もう休ませた方がいいのではないか。いや、ここは頑張りどころ。

毎日この2つの葛藤がこれまた辛い。

しかも、どちらかというと内向的な私は、毎日、先生方と話をするのも緊張しっぱなし。さらには不安の強い時はHSPの能力が暴走するので、周囲のいらない情報まで吸収してしまい、脳が興奮し続け、夜寝られないという悪循環。

食べられなく長男に反し、母は喰い気が爆裂。

食べられず痩せこけていく長男。食べ過ぎでぶくぶくと増量する母。


カオスでした。


うえ~んっ、ほんとうに辛かった~~。まさに、地獄。地獄でございました。

今年春は、怒涛の時間でした。あまりに、怒涛だったので、次男の影が薄くなりそうでした。

次男は、長男とは別の小学校に行っていますが、こちらも絶賛別室登校中です。こちらは去年までが戦いだったので、今年はわりかしスムーズに新学期を迎えられたのが救いでした。(次男の小学校入学時も負けず劣らず怒涛だったので、また別の機会に書いてみたいと思います。)

結局、うちの息子たちは、別室という対処をいただきなんとか学校と繋がれそうな感じです。(それでも、何とか・・という感じだけど)

別室措置をいただいても、親子共々この疲労なんだから、別室がなかったら、もっと辛いに違いない。

だから声を大にして言いたい。

すべての小学校・中学校に別室登校を常設した方が絶対良い!!!!

そして、それは地域格差があってはならない!!!

支援級と普通級の間のクラスっていうのが、もっとたくさんあっていいと思います。その方が、先生も生徒も親も幸せになれると思っています。

本気ですよ。私は本気でそう思っている!!

さて、今回はこれでおしまいにしたいと思います。

ありがとうございました。

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