私はおそらくASD&ADHD&HSPで人生はカオス!

私(母)の人生をご紹介しましょう。

私は、私をつかさどっているメインのキャラクターはASD傾向が強いタイプです。自分のペースで物事を進められないと酷くストレスが溜まります。
一方、頭の中はADHDで、常に何かの情報が走り回っており、病気になってもスマホで情報を検索する事をやめられないというタイプです。ボーっとすることが難しい。
さらに、HSPを持ち合わせており、人の目玉の動き一つで人の感情が動いた事を察知する事ができたりします。空気読みまくりです。

ASD・ADHD・HSPは、一つ一つが相いれない特性がありながら、すべてを凸凹な状態で持っている併せ持ち、ものすごく生きづらい状態となります。

が、ハイブリットカーがそうであるように、必要な時、必要な能力を引き出して使うように出来れば、
これは最強に変身できるかもしれません。(まだ模索中)

さてさて、今でいう”発達障害”を持つ人が、大人になってこれまでの人生を言語化したらこんな感じ。
というのを書いてみたいと思います。あなたのお子さんや身の回りにも似た人がいるかもしれません。

発達障害を持って成長した人の一例としてお役に立てたら幸いです。
では、さっそく始めましょう。

まず初めに~ 私はグレーゾーンスイマー(グレーゾーンで泳ぐ人)

障害というのは、障害を持っている人の全機能が障害状態ではなく、生きるのに必要なほとんどの部分は一般的にいう”普通”に機能しているのだけれど、”一部”がどうやら一般的なようには作用しない状態。だと私は考えています。

発達障害に関して言えば、脳の一部がどうやら一般と同じ様に動かない状態がある状態。外見的には普通の人と同じなので分かりにくいけれど、できない事・できすぎる事がある。それが、さぼっている。甘えている。なまけている。威張っている。と評価を受けがち。

一方、内側から自身を観察すると、出来る事とできない事の間のゾーンを泳いでるイメージです。超~熱いお湯から段々と冷たい水があり、やがて氷寸前の冷水に到達する。その中を右往左往している。まさに「濃淡の中にいる=グレーゾーン」という感じです。

誰でも、得意・不得意のゾーンがあり、得意なところは何故か出来ちゃう感じで、不得意なところは努力や忍耐で泳ぐ方法を見つけて、毎日を何となく送るのだと思うのですが、私たちの場合、そのゾーンが長いのか短いのか、得意・不得意が極端に出ることがしばしばあります。

得意なところは沼にはまってしまって出られなくなりがちで、不得意なところは努力や忍耐程度では普通のところまではおおよそ到達できません。

なんだか分かりにくい説明となってしまいましたが、簡単にサクッと書くと、普通に見えるかもしれないけど、普通と違う部分を抱えている。という事になります。

どの辺りのゾーンにいるのかは人によってもマチマチで、その濃淡の濃さも人それぞれ。また、時間・場所・環境によってゾーンは変化し続けます。

おそらく私は、ゾーンの濃淡は全体的に薄めで一般的なふりをして生きる事は出来るのですが、”ふり”なので、とにかく疲れてしまいます。家に帰ると、誰とも話さず一人部屋にこもってリラックスしないと心が持たない状態となります。

では、次からは私の子どもの時~現在への成長過程のお話を紹介しますね。 

なぜだか分からないけど、とにかくじっとしていられない

幼稚園や学校で、教室の中にいる。座っている。などは大丈夫なのですが、休日など、親に「ここで待っていてね」と言われて待てたことがありません。勝手にどこかへフラフラと歩みだしてしまい、後で、「待っていてねと言ったでしょ」と言われるのが常でした。言われたのは分かっているけれど、目先の興味に惹かれて、フラフラ~と歩いてしまうわけです。

ある日、習い事の発表会で、何時から出番だからね。と言われたにもかかわらず、広い会場がどうなっているのか興味本位で歩き出してしまい、結果、見つからず大人が探し回る。という展開に。

後で怒られると、「しまったな。。」とは思うのですが、またやってしまう。なぜなんでしょう。。私にもわかません。
大人になると、待たないといけない状況判断は出来るようになり、ほぼ無意識に待つことが出来るようになっています。何なら、待つことが得意レベルになっています。

ですが、プライベートになると相変わらず。許される状況だと思うと、フラフラ~っと歩き出してしまいます。友達と海外旅行に行って、観光地でひとりふらり癖が出て、「なんで勝手にいくの?」と指摘された事もあります。

超超超マイペース

予定を立てて行動するという事か致命的にできませんでした。すべて思いつきで動くので、学校は親に押し出されて行く感じです。通学団の待ち合わせ場所に行くついでに友だちが呼びに来てくれていたのですが、待たせる。ぜんぜん待たせる。待たして、ご飯を食べたりする。

親は、みていてヒヤヒヤだったと思います。「友だちが待っているでしょう!」とよく怒られていました。が、なぜか分からないですが、あまり申し訳ないという気持ちが湧かない。。

習い事も、自分が始めたいと言って始めたにもかかわらず、時間になっても動かない。親に「早くしなさい」と言われても急ぐ気持ちもなく、毎週、怒られながら出かけるという。。

待たせる、遅れるのは、良くなさげ。とは思うのですが、心で感じる事ができていなかったのだと思います。大人になった今は、もちろん時間に間に合うように出来るようになりました。

さらに、アメリカでメキシコ人と仲良くなり、南米では遅刻が当たり前という習慣を教えてもらい、私はラテン気質である。と開き直ってから、遅刻していけない時、良い時。を使い分けるようになり、プライベートでは、ほぼほぼ遅刻です。しかし、お互い遅刻してもよい友だちとしか会わないので、日本にいながらラテン生活を送っています。

なぜだかわからないけど、嘘をつく

その場限りの事しか考えられないからだと思いますが、すぐに嘘をついていました。友達と話が盛り上がって、負けず嫌いな性格なのか嘘で話を盛りすぎる。という事もよくありました。

今でも忘れられないのが、小2の時。「私なんてね、財布にね、足が生えてきて、歩いてるの見たよ」と言い放って、さすがに友だちが「うそでしょ?」と突っ込みを入れてくれたのに、「いや、ほんと。ほんとに見たんだって」と言い切る私。

でも、年齢を重ねるごとに、嘘をついて痛い思いを何度もし、嘘をつくことに何のメリットもない事を学び、今でも話を盛る癖は治りませんが、嘘はつかない人になりました。

とにかく学校が嫌い

学校がとにかく苦痛以外の何ものでもありませんでした。一番の原因は、怒られ続けるから。先生にめちゃくちゃ怒られる。指示が正しく理解できない事。抽象的な指示だと、何をしたらよいのか分からなくなってしまうのです。出来ない=話を聞いていない。さぼっている。と思われて、ものすごく怒られる。

また、なぜだか分からないけど、授業中にしゃべってしまう訳です。それで、また怒られる。

さらに、やりたくない事を一方的に押し付けられているように感じて、とにかく辛い。ふてくされた態度をとって、また先生に怒られる。そして先生が親に学校の様子を話して、今度は親にも怒られる。負のスパイラルです。

年齢が上がるにつれて友だちとの付き合いも難しくなる。なぜだか分からないけどイジメの対象となってイジメられる。その後が、またカオスです。イジメられるのは自分が原因だと思い、今度は周りに適応しようと頑張り、過剰適応となり、猛烈に良い人に変身します。そして、心が疲弊していく青春を送ることになりました。

一方、学習面は小学校2年生までは0点オンパレードな成績でしたが、小学校4年生ごろから脳の中で何かが繋がったような感覚となり、最終学歴は国立大学を卒業しています。

大人になった今は、一人の時間をこよなく愛し、数は少ないまでも、ほんとうに会いたい人が友だちとなり、心穏やかな日々となっています。

社会人生活は、自分に合った所を探せば何とかなる

私は大学4年の時、大学院に進みたかったのですが、経済的な理由とそれを乗り越える執念がなく断念し、なんとなく卒業して、そのあと引きこもり生活を半年程送りました。ひきこもり中に、ウツになりつつも、本当にやりたい事をやろうと心に決め、高校の時に行きたかった語学留学をめざします。

とりあえず、お金が必要になり工場のラインでバイトを半年。その後、もっと時給の良い仕事を求めて一瞬、会社員になり、25歳の時に念願の語学留学。約半年を過ごしたアメリカで自由な感じが肌に合い、また戻りたい!と思い、そこで今度は、アメリカの大学に編入する事を夢見ます。いったん帰国。貯金の為に派遣社員として働きだします。

それまで1年以上同じ職場にいたことはありませんでしたが、この派遣先の企業体質は非常に自由で、上下関係もさほど厳しくなく、気が付けばアメリカ留学よりも楽しくなってしまい、結局10年以上も在籍していました。(それでも、途中ウツを発症してましたから、それなりに辛い事も多々ありましたが、それでも働ける職場でした。)

普通に生きようと思うと、ウツは伴侶みたいなもの

普通を目指さなければ良かったのでしょうが、まさか自分が発達うんぬんという事は思いもせず、普通を当然目指せるものだと思って生きていましたが、結果として、多くの人が何となく暮らしている毎日というのは、私にとっては何となく大変な毎日という事になります。

それでも、子ども~大人に成長する時間の中で、いろいろな場面に遭遇し、驚くほどたくさんの事を学び、今、こうしていわゆる普通っぽく見える生活を送れるようになったのは、自分でも大したものだなと思っています。

しかし、時には無理がたたり、どうしても心が疲弊して「うつ」という症状を抱える事があります。しかし、それは使いすぎた膝だって痛めるのと同じように、使いすぎた心だって痛めてしまう。という感じで、病院にいったり、薬を飲んだりすれば、自分なりの日常を取り戻すことができ、楽しむ事もでき、振り返ってみれば良い思い出もたくさんあります。

できれば、子ども達には「うつ」を伴侶とするのではなく、「自分らしさ」を伴侶として生きて欲しいと思うのですが、それは時代背景や本人たちの意志による所が多いので、私としては見守るしかないと思っています。

今のわたしの生活

以上、私の人生をサラッと書いてみましたが、いかがでしたでしょうか。上記はほんの一部で、他にも、忘れ物が多い、言わなくいいことを言う、親のお金をこっそりくすねる、人の物を取る、怒って物を壊す等など、大変な子どもでした。自分で改めて子ども時代を振り返っても、どうしてそうなっちゃっていたのか謎だらけのカオスです。おそらく、そのたくさんの謎のせいでしょうか。もう50歳を過ぎている今の時点から過去を見ると、試練や紆余曲折の多い人生だったと思います。

そして、ある意味残念な事に根本的な性質は変わらない事は否定できません。おそらく私はこれからもこの紆余曲折はずっと続いて行くのだと思います。
ただ、習得してきたものを生かして、カオス度は年々減っては行くと思います。

順風満帆な人生なんていうのは、なかなか無い物だとは思いますが、おそらく、多くの人が「人生って色々辛い時あるよね。」というニュアンスの”色々”と、私の経験してきた”色々”というのはちょっと違うと思って良いかなと思います。

50歳にして、大変だったね。よく頑張ったね。と、自信をもって自分に言えるようになってきました。

自分にやれる事をやる。やれない事はやれる方法を探してやる。それでもやれない事はやらなくていい。

それが、私が壁にぶち当たりながら得た教訓です。

そして、今は専業主婦として、凹凸のある息子たちの子育てに専念する道を選んでいます。
空いた時間に、トカゲや金魚に餌をやり、韓ドラを見て、おかしを食べて、昼寝して、夜は疲れ切って寝る。

そんな毎日を送っています。今の私にとって最善の選択かなって思っています。

以上、私のカオスな人生を振り返ってみました。

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