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「学校に行けなくなった時は、無理しなくていい。」専門医の言葉が響いた(後編)

前回ブログhttps://toashufu.com/possibility/では、学校に行けなくなった息子に専門医から、

「学校に行けなくなるぐらいまで、頑張ったね。」
と優しい言葉をかけてもらいました。

その言葉に、正直私は、

え?そゆこと?

とハッとされられました。



なぜなら私には、息子が”頑張り過ぎて、学校に行けなくなった”という意識が全くありませんでした。
サボっているとまでは言わないまでも、我慢や努力が足りないんじゃないかと思っていました。

嫌だから行かないとか、ないよね。
嫌な事を避けて生きて行ける程、世間は甘くないんだよー!
戦って、その場を変えて行くんだよ!

ぐらいな感じで。(ざ、昭和節)




しかし、息子の「嫌だ」の表現は、実は「無理」という意味でした。

ぜんぜん、わかってなかった。

まさか息子が精魂尽きるところまで頑張っていたとは思わずに、行き渋っていても、無理やり学校に押し出したりして、申し訳ない事したなと思いました。

かわいそうな事しちゃったな…

後に息子本人から、学校でどのように自分は過ごしていたのかを話してくれたのですが、本人は「良い子、優秀な子、完璧な子」になろうとそうとう頑張っていたのだそうです。
そして、ある日、ブチっと何かが切れたらしいです。

もう何もかも嫌だ!!!!

あー、それ、私のせいだわ。
発達障害の診断が出てからと言うもの、なんとか普通に近づけなければと、かなり色々頑張らせていたからな…。

本当の彼は、教室はうるさすぎるし、カオスすぎるし、本当は誰とも話さず静かに一人でいたかったそうです。

ずっと真逆な事をしていた訳なので、そりゃ、疲れ切っちゃうよね…。


あれから約4年。

今では、長男は体調も少しずつ回復し、今では笑顔も増えました。

一時は、何度も何度もトイレにこもり、ほとんど食べる事もできず、眠る事もできず、どんどんやせ細っていく息子を見て、私も心が休まる事がありませんでした。

親にとって、子どもの具合が良くない状態が続くという事は、これも程までに心配で、辛く、そして昼夜問わず心が休まらない状態に陥ってしまうのかと自分でもびっくりでした。


ただ、ただ辛かった。母子ともに辛かった。


家で好きな事をして過ごす中で、息子は少しずつ元気を取り戻していきました。

先生の言葉が改めて沁みる…。
エネルギーを溜めるってこういう事ね。なるほど。

改めて、昭和魂の我慢・努力・忍耐でもって克服していく、乗り越えて行くっていうスタイル、もう古いのかもね。

イマドキは、

自分と戦うんじゃなくて、自分と仲良くなる。
苦しい事は回避して、多少遠回りになっても別の道から進む。
出来ない事はやらない。出来る事を一生懸命やる。


私がこの考えにもっと若いころに取り入れていたら、ウツになったり、パニック障害になったりしないで生きて来れたかもしれないな~。(遠い目)

世の中、まだまだ頑張る事が美化されているし、頑張る事を奨励されがちですが、そもそも頑張り続けなければ維持できない状態っていうのは、長続きしないし、結果的に問題を先送りしているだけで、何も解決していない状態と同じとも言えるかもしれません。

まわりのみんながやっているから。
みんなが通っている道だから。

もう、そんなのどーでもいいー。

「頑張る」前提ではなく、自然体でいられる場所を整える事。
無理せずとも、少しでも快適で過ごせる場所を求めて行くという事。

が幸せに生きるコツかもしれない。
これは不登校云々、発達障害云々、関係なくすべての人に共通するんじゃないかな?と思いますがどうでしょう。

”出来ない””苦しい””苦手”は、弱点じゃない。恥ずかしがる事もない。ネガティブに捉える必要もない。

それを認めて、どう付き合っていくか。




1人でできない事は、お家の人、学校の先生や支援してくれる人、周りの人の力を借りながら。一方で、自分のできる事で恩返ししながら、
そうやって生活していく。

その中で、今までの当たり前を覆していく、違う価値観を見つけ出していく事の手助けも出来るかもしれない。

学校に縛られなくていい。もっと自由でいい。

今は、そう思います。

ではまた次回!



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